神社概要
河口浅間神社は、浅間神社の系統の神社です。富士五湖のひとつ、河口湖の近くにある浅間神社です。
「河口浅間神社」という社名は、他の浅間神社と区別するための通称で、正式名は「浅間神社」といいます。富士山の北側の麓に位置し、祭神様は河口湖越しに富士山を見つめています。
祭神である浅間大神 (あさま おおかみ)は、他の浅間神社と同じく、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を指しています。
社記によると、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)、大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神も、相殿に祀っていると伝えています。 現存する本殿は、1606年(慶長11年)に焼失して、翌年1607年(慶長12年)に再建されたものとのこと。富士河口湖町の指定有形文化財。
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現場情報・アクセス
0555-76-7186 富士急行線 河口湖駅 河口湖駅から富士急行バス甲府駅行き、または甲府駅北口行き「富士健康センター前」または「河口局前」下車 10分 中央自動車道 河口湖ICから車で15分 富士吉田ICから15分 御坂ICから30分
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現場の見どころ・雰囲気
境内のたくさんの巨木が迫力があります。 樹齢1000年を超える巨大な杉が何本も立ち、それに負けないほどの大きくて立派な社殿、厳かでありながら、その迫力に圧倒されます。 拝殿の前に、美麗石(ヒイラ石)と呼ばれる石の祠が立っています。これは、浅間明神をこの地に初めて祀ったときの、古代祭祀の石閣と伝えられています。
社殿周辺に、「七本杉」と呼ばれる7本のスギの神木がそびえ立っています。これらはいずれも樹齢千二百年を超えており、山梨県指定天然記念物に指定されています。七本杉には、それぞれ名前がつけられています。 「御爾(みしるし)」「産射(うぶや)」「齢鶴(れいかく)」「神綿(しんめん)」「父母(かづいろ)」「天壌(てんじょう)」 ※「父母」は、2本で1セット
参道の杉並木、栃の木、樅の木は、富士河口湖町の指定天然記念物に指定されています。 世界文化遺産に富士山が登録されましたが、「信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として、河口浅間神社の信仰、自然も含めての登録となっています。
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神社詳細・歴史
河口浅間神社の創建は、貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火を鎮めるために、貞観7年(865年)に浅間大神を奉斎したのが始まりといわれています。
経緯については、「日本三代実録」に記載が見られます。かつては富士山の麓に、せの海(剗の海)という、大きな湖がありました。それが、貞観6年(864年)に富士山が大噴火を起こし、その溶岩で埋まってしまいました。かろうじて残った部分が、今の本栖湖、精進湖、西湖です。
当時は富士山に関する祭祀は、駿河国(静岡県)側のほうが権力があり、駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)が中心となって祭祀を行なっていたため、甲斐国(山梨県)側には元々は浅間神社はありませんでした。 この噴火をきっかけに、「富士山が怒っている」「祭祀怠慢だ」「甲斐国でも浅間神を祭祀するべき」という意見が出て、翌年の貞観7年(865年)、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られました。 延喜式神名帳には名神大社として、「甲斐国八代郡 浅間神社」の記載が見られます。
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小ネタ・いろんな説
甲斐国八代郡浅間神社の論社としては、この河口浅間神社と、笛吹市の浅間神社、西八代郡市の一宮浅間神社が有力な候補として考えられています。 大日本史や甲斐国志などの書物では、古くから河口浅間神社がその論社として論じられていて、その中で「当地は現在都留郡であるが、当時は八代郡に属した」といったことが書かれています。浅間神社の由緒書きにもそのような記述があります。 ただし、延喜式神名帳の記載とつじつまを合わせるために、後から付け足された可能性もあり、今でも議論は絶えません。
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個人的見解
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お祭り・行事・頒布品・その他
例大祭 4月25日(孫見祭) 神事 筒粥祭 (1月14日) 太々御神楽祭(おだいだい祭り)(7月28日) 身曽岐流し(夏越大祓)(7月31日) 献穀祭(旧新嘗祭) (11月23日)
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訪問メモ
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