毎週競馬ばっかりで、すっかりギャンブル依存症、といったところですが、こういうものは「自分だけは違う」と否定したくなるものです。
一応否定しておくと、競馬はギャンブル性だけでなく、自分の頭で様々な要素から予想して見事的中させるという、ある意味パズルのような知的なゲーム性があるわけです。はい。当たりませんけど。
それと引き合いに出すのはアレですが、ギャンブルの代表格、パチンコやパチスロは、ゲーム性に限界があります。玉を打ち込む場所を多少変えることはありますが、基本的には店が決める設定の元、釘を調整され、店の狙った通りの出玉にコントロールされています。パチスロも、機械の設定どおりに出るだけです。目押しにより取りこぼしを防ぐ技術は試されますが、お店側にコントロールされている範囲を超えることはできません。あとはリーチや当たりの演出を見守るだけの作業になります。
ニュースを見ていると、パチ屋さんの話が出てきますね。新型コロナで多くのお店が営業自粛しているなか、数少ない営業している店に客が殺到しています。遠くの都道府県からもわざわざ集まっています。なおかつ、「負けた負けた!」と叫んでいるのです。
それも当然です。このご時世で、営業自粛が難しいということは、経営も厳しいお店ということになります。そのようなお店が、客に奮発して玉を出してあげるわけがありません。絞るだけ絞って、客からお金を巻き上げて、金を尽きさせ、別の客と入れ替えて、バンバン稼ごうと考えるに違いありません。
ここはひとつ、冷静になったほうがいいと思います。私も昔、パチンコにハマっていた時期もあります。でも、今、パチ屋さんに行っても、きっと稼げません。タイミングが悪いからです。
なので、同じギャンブル依存症ならば、競馬をやりましょう(笑