競馬 馬券購入とは

競馬コラム
この記事は約4分で読めます。

馬券購入とは、馬券を購入することである。そのまんまですね。私は馬券購入を楽しみながら、日々を楽しく過ごしております。

そんな中、ふと思いました。「馬券購入」というと私は、自分で予想するというところも含むと思ってしまいますが、実はそうとは限らないのではないかと。

すなわち、「予想はしていないけど、馬券は買う」という人が一定数存在するだろう、ということです。


具体的には、競馬新聞や予想屋さんがアドバイスをくれて、馬券購入者はアドバイスそのまま購入する、といった具合です。

または、ナンバーズのように、毎回同じ番号で買うとか。うちの両親は毎年有馬記念だけ買うのですが、いつも同じ数字の枠連を買います。そんな感じです。

はたまた、毎回同じ騎手を買うとか。こちらは、少し予想が入っているかもしれませんが、あまり考えずに買うところは近い感じです。


このように、予想はしなくても、馬券自体は買えるわけです。

また、重要なポイントとしては、予想をしてもしなくても、当たるときは当たる、という事実です。

つまり、馬券を当てることにおいて、予想は必須ではないということです。

逆に必須なのは、購入するという行為そのものです。

競馬場なりスマホなりで、自分の手で馬券を買う。それこそが馬券購入であり、購入すれば誰でも当たる可能性があり、購入しなければ絶対に当たることもありません。宝くじと同じですね。


そこで自分に問うわけです。自分は果たして、「予想をしたい」のか、それとも「馬券を買いたい」のか、どっちなのかと。

そう問いつつも、私の中では優先順位は決まっています。予想をして楽しむのが第一です。

なぜなら私は、知的趣味として、競馬予想を楽しんでおり、勝っても負けても、おこづかいの範囲でお金を使う程度で、それで生活をしているわけではないからです。また、予想だけをして馬券は買わないということもあるからです。


ただ、やっかいなのは、ここでいう「馬券を買いたい」には、自分が予想するかどうかとは関係なく、買いさえすれば、自分の意志は反映されていると見ることもできるということです。

どういうことかというと、「まったく予想をしていないから、買わない」というのが自然な流れだとして、「まったく予想はしていないけど、買う」という選択も、それはそれで自分の意志は入っているということです。


なにを言いたいかというと、予想をせずに馬券を買って、当たったとしても、当たりは当たりであり、自分が買おうと思わなければ当てることもできなかった。だから、買った時点で意志はあった。それならば、自分が馬券を当てた、と言っても差し支えないのではないか、ということです。

先週の競馬です。私がそれっぽい根拠を元に馬を選び、ことごとく来ない。一方で、私なら選ばないだろうな、という馬が来る。

まったくいい馬とは思わないけど、もし買ったとしたら、それは予想ではないけれど、馬券購入ではあるので、自分の意志ですし、それで当たれば、私が競馬で当てたことには変わらない。

それをよしとするのかどうか、ということです。


極めて身のほどを知らない発言ではあるのですが、仮に私がいろいろやってきた予想方法が、他の多くの競馬ファンの予想に近いものがあったとします。

そのうえで、みんなが私と同じような結論を出して、馬券を買い、それが当たらず、みんなが馬券を外しているとします。

だとしたら、私が取るべき道として、「自分の予想を信用しない」ということがあってもいいのではないか。それは、予想をすることを全否定するわけではなく、部分的に使ってもいいのではないか。そう思ったわけです。


シンザン記念で、「リラエンブレムも気になりました。気になっただけで、根拠はありません。」と書きました。ほんとに、いいとは思わなかったのです。私が予想をする限り、ヒモで無差別で流す以外では、この馬を買う要素がありませんでした。

しかし、リラエンブレムは来ました。馬券を買っていたら当たっていたかもしれません。気にはなったけど、自分が予想する限りは選ぶ要素がない。それを、なんかのかたちで、私の意志として購入できないものかと、考えています。

私が予想したら絶対選ばない馬を、あえて買うという。自分を信用しない馬券、ゼロトラスト馬券とでも言いましょうか・・・(苦笑

タイトルとURLをコピーしました