福岡県にある香椎宮について、メモしておきます。
概要・見どころ
主祭神は、仲哀天皇と神功皇后。創建200年。旧官幣大社。
仲哀天皇は、熊襲を討伐するために、この地に橿日宮(かしいのみや)という仮宮を置いたとされています。
神功皇后が神がかりして、「海の向こうに金銀財宝がある国がある」と託宣すると、仲哀天皇は「高いところに登って海を見ても、海しかないよ」と信じず。すると仲哀天皇は謎の崩御。武内宿禰の姿がちらほら。
その後神功皇后が三韓征討を果たすと、日本に帰国後にこの地に夫である仲哀天皇を祀ったとのこと。それが香椎宮の起源だそうです。ただし、当面は香椎廟であり、後に香椎宮に。
現在の本殿の北東に、橿日宮の伝承地があり、そこも見ておきたいところ。
香椎の地名は、仲哀天皇の棺を立てかけた椎の木からいい香りがしたことから、香椎と呼ばれるようになったとのこと。ちなみにその椎の木は、棺掛けの椎と呼ばれています。
仲哀天皇と神功皇后の間に生まれたのが応神天皇で、応神天皇が八幡神とされたことから、香椎宮が八幡様の親神として扱われることがあります。
一説には、香椎宮の主祭神は、息長帯比売こと神宮皇后ではなく、大帯姫(おおたらしひめ)とも。でも、単なる別名との話もあり。
さらに、香椎宮の相殿には、応神天皇と住吉大神が祀られ、八幡神社と住吉神社のハイブリッドになっています。
訪問メモ
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マップ
関連サイト
香椎宮 - Wikipedia
夫婦の宮、香椎宮
此の杜は神の夫婦が祈った地。太平の世を願い家族を想った。夫婦神にならい祈る。愛するものがどうか幸せであるように。
香椎宮
『古事記』『日本書紀』で、この地で崩御したと伝えられる仲哀天皇を祀り、古代から朝廷に崇敬された神社で、一説に200年代の建立と伝えらます。江戸時代に再建された「香椎造り」と呼ばれる本殿の様式は、全国で ...