河口浅間神社

かわぐち あさま じんじゃ

河口浅間神社は、山梨県富士河口湖町にある神社です。富士五湖のひとつ、河口湖の近くにある浅間神社です。

ポイント
・864年(貞観6年)に富士山の大噴火があり、それを鎮めるために浅間大神を祀ったのがはじまり
・世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部になっている
・樹齢1000年を超える巨大な杉が何本も立ち、それに負けないほどの大きくて立派な社殿、厳かでありながら、その迫力に圧倒されます

データ

神社

祭神浅間大神(木花咲耶姫命)創建平安時代 865年(貞観7年)
系統浅間系社格式内社 名神大社論社 旧県社
ご利益縁結び 恋愛成就 安産 火除け


鎮座

エリア富士山 富士五湖エリア電話0555-76-7186
住所山梨県南都留郡富士河口湖町河口1


交通手段

電車富士急行線 河口湖駅バス河口湖駅から富士急行バス甲府駅行き、または甲府駅北口行き「富士健康センター前」または「河口局前」下車 10分
高速中央自動車道 河口湖ICから車で15分 富士吉田ICから15分 御坂ICから30分自転車レンタサイクルあり
アクセス河口湖観光とともに。電車や高速バスで、河口湖駅まで向かい、そこから路線バスで行けます。


現地

施設駐車場30台(無料) トイレ必要時間確認中
名物河口湖みやげ見どころ境内のたくさんの巨木


関連サイト
ウィキペディア 河口浅間神社
・山梨県神社庁 http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/7137
・富士の国やまなし観光ネット http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4445.html
・河口浅間神社駐車場の使用禁止について(2016.11.17) http://www.fujisan.ne.jp/news/info.php?new_id=495&nca_id=1

訪問履歴
・2016年まとめ



見どころ

本殿・拝殿
現存する本殿は、1606年(慶長11年)に焼失して、翌年1607年(慶長12年)に再建されたものとのこと。富士河口湖町の指定有形文化財。

美麗石(ヒイラ石)
拝殿の前に、美麗石と呼ばれる石の祠が立っています。これは、浅間明神をこの地に初めて祀ったときの、古代祭祀の石閣と伝えられています。

天然記念物・自然
社殿周辺に、「七本杉」と呼ばれる7本のスギの神木がそびえ立っています。これらはいずれも樹齢千二百年を超えており、山梨県指定天然記念物に指定されています。
参道の杉並木、栃の木、樅の木は、富士河口湖町の指定天然記念物に指定されています。
世界文化遺産に富士山が登録されましたが、「信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として、河口浅間神社の信仰、自然も含めての登録となっています。
ウィキペディア 世界遺産・富士山

七本杉には、それぞれ名前がつけられています。
「御爾(みしるし)」「産射(うぶや)」「齢鶴(れいかく)」「神綿(しんめん)」「父母(かづいろ)」「天壌(てんじょう)」
※「父母」は、2本で1セット

神社・祭神について

河口浅間神社は、浅間神社の系統の神社です。
浅間神社について → 浅間神社

「河口浅間神社」という社名は、他の浅間神社と区別するための通称で、正式名は「浅間神社」といいます。富士山の北側の麓に位置し、祭神様は河口湖越しに富士山を見つめています。

祭神である浅間大神 (あさま おおかみ)は、他の浅間神社と同じく、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を指しているとのこと。

社記によると、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)、大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀っていると伝えています。

摂社・末社・祭り・文化財

例大祭
4月25日(孫見祭)

神事
筒粥祭 (1月14日)
太々御神楽祭(おだいだい祭り)(7月28日) 身曽岐流し(夏越大祓)(7月31日)
献穀祭(旧新嘗祭) (11月23日)

歴史

河口浅間神社の創建は、貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火を鎮めるために、貞観7年(865年)に浅間大神を奉斎したのが始まりといわれています。

経緯については、「日本三代実録」に記載が見られます。かつては富士山の麓に、せの海(剗の海)という、大きな湖がありました。それが、貞観6年(864年)に富士山が大噴火を起こし、その溶岩で埋まってしまいました。かろうじて残った部分が、今の本栖湖、精進湖、西湖です。

当時は富士山に関する祭祀は、駿河国(静岡県)側のほうが権力があり、駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)が中心となって祭祀を行なっていたため、甲斐国(山梨県)側には、浅間神社はありませんでした。
この噴火をきっかけに、「富士山が怒っている」「祭祀怠慢だ」「甲斐国でも浅間神を祭祀するべき」という意見が出て、翌年の貞観7年(865年)、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られました。
延喜式神名帳には名神大社として、「甲斐国八代郡 浅間神社」の記載が見られます。

甲斐国八代郡浅間神社の論社としては、この河口浅間神社と、笛吹市の浅間神社、西八代郡市の一宮浅間神社が有力な候補として考えられています。
大日本史や甲斐国志などの書物では、古くから河口浅間神社がその論社として論じられており、その中で「当地は現在都留郡であるが、当時は八代郡に属した」といったことが書かれています。浅間神社の由緒書きにもそのような記述があります。
ただし、延喜式神名帳の記載とつじつまを合わせるために、後から付け足された可能性もあり、今でも議論は絶えません。
ウィキペディア 浅間神社#甲斐国

写真

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その他

参考文献




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Last-modified: 2017-09-10 (日) 21:33:19 (2412d)