#author("2018-04-29T19:41:05+09:00","default:Admin","Admin") *櫻木神社 [#n7c7eb63] さくらぎ じんじゃ~ ~ 櫻木神社は、千葉県野田市にある神社です。~ 野田市最古の神社です。~ ~ &ref(写真/千葉県/櫻木神社/櫻木神社20180428_01.jpg,zoom,300x1500);~ ~ >''ポイント''~ ・平安時代、藤原氏の貴族がこの地に美しい桜の大木があるのを見て、木の根元に倉稲魂命、武甕槌命を祀ったのがはじまり~ ・社紋は桜の花、敷地内には桜の木がたくさん植えられていて、文字どおりの桜木神社~ ・桜の朱印帳など、全体的にかわいい雰囲気がただよう~ ~ #contents ~ -------- **データ [#vd6314a8] ''神社'' |''祭神''|&ruby(うかのみたまのみこと){倉稲魂命}; &ruby(たけみかづちのみこと){武甕槌命}; &ruby(いざなぎのみこと){伊弉諾尊}; &ruby(いざなみのみこと){伊弉冉尊};|''創建''|平安時代 西暦851年 仁寿元年| |''系統''|稲荷系 藤原系|''社格''|旧村社| |''ご利益''|五穀食物 商業繁栄 産業繁栄 勝機勝運 健康長寿 良縁 夫婦円満| ~ ''鎮座'' |''エリア''|千葉県柏・野田エリア|''電話''|04-7121-0001| |''住所''|千葉県野田市桜台210| |''立地''|平地|''敷地''|小~中規模| ~ ''交通手段'' |''電車''|東武野田線 野田市駅から徒歩10分|''バス''|| |''高速''|常磐道 流山ICから10分 柏ICから10分|''自転車''|不明| |''アクセス''|鉄道の駅からの徒歩圏内であり、駐車場も300台と、かなりの余裕があります。&br;大鳥居の周辺に駐車場があり、神社の敷地の南東側から、住宅地の中を入っていきます。| ~ ''現地'' |''施設''|社務所 駐車場 おみくじ ご祈祷|''必要時間''|本殿のみ10分 摂末社含む30分| |''名物''|確認中|''見どころ''|桜の木| |注意点|| ~ ''関連サイト''~ ・ウィキペディア [[櫻木神社 (野田市)>Wiki:櫻木神社_(野田市)]]~ ・外部サイト:公式サイト [[櫻木神社>http://http://sakuragi.info/]]~ ~ ~ -------- **ご利益・見どころ [#s7cf503f] 櫻木神社のある周辺は、一軒家が立ち並ぶ住宅地ですが、突然神社の敷地が現れ、きれいに整えられた敷地、豊かな杜に驚きます。桜の木、つつじの花が開きそろいます。~ ~ **神社・祭神について [#i878aa55] ''神社''~ 平安時代、藤原鎌足の子孫、藤原&ruby(ふゆつぐ){冬嗣};の三男、藤原&ruby(つぐよし){嗣良};は、兄たちが中央の要職に就く中、疎ましく思われるだろうと感じて、不毛な争いを避けるために都を離れました。そして、関東の下総の地までやってきて、仁寿元年(西暦851年)に、 玉崎神社のご縁起によると、景行天皇12年の創建と伝わる、とあります。~ ~ >ヤマトタケルは、はるばる関東までやってきて、神奈川県の相模から、千葉県の上総へ、海を渡ろうとしました(昔は陸路より海路のほうが便利でした)。~ そのとき、走水の海(横須賀市)を守る神さまが波を起こして、海が荒れて大変なことになりました。~ その様子を見たヤマトタケルの奥さんの弟橘媛(おとたちばなひめ)は、「これは海神の御心に違いない」と言って、海に身を投げてしまいました。~ そうすると波はピタッと収まり、無事上総の国に着くことができました。~ ヤマトタケルは、その海神の霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉ヶ崎の地(玉の浦の東端)に海神である玉依姫尊の神霊を祀りました。~ ~ ~ ''祭神''~ 主祭神は玉依毘売命(たまよりびめのみこと)で、配祀神として日本武命(やまとたける)が祀られています。~ 玉依毘売命は、海の神さまである綿津見命の娘で、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズ)の妻であり、神武天皇の母です。~ ~ ヤマトタケルは、関東地方を治めるために東征して来た皇族で、古来から武神として崇敬されています。~ 千葉県内には、ヤマトタケルに関わるエピソードが数多く残っています。~ また、ヤマトタケルを助けるために海に身を投げた、奥さんの弟橘媛を祀る神社もあります。~ ~ ~ **摂社末社・祭り・文化財 [#l98bde10] ''例祭''~ 旧暦の4月1日~ ~ ''祭り''~ ・1/1~1/3 正月祈祷~ ・1/15 祈年祭~ ・2/3 節分祭~ ・5/5 例大祭~ ・7/30 輪くぐり~ ・10/15 神事祭~ ~ ~ **歴史 [#c23a2ecf] 玉崎神社は、下総国二ノ宮で「玉ヶ崎大明神」と呼ばれ、武将からの崇敬も厚く、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤らが参拝しました。~ 江戸時代に入ってからは、平田篤胤、平田鐵胤、斉藤彦麿、高田与清、大国隆正といった文人も参詣しました。~ ~ 享保14年(1729年)には、地頭らが大漁祈願したところ、たくさん魚が獲れて、みんな大喜びに。~ その神験から、神階正一位を賜りました。~ 拝殿内にある扁額(神社名の書かれた額)は、その頃の徳川吉宗の筆と伝えられています。~ ~ 明治に入り、「玉崎神社」と改称されました。~ ~ **写真・訪問履歴 [#u83f2301] ''写真''~ [[写真>写真/千葉県/櫻木神社]]~ ~ ''訪問履歴''~ ・[[2018年04月28日(土)櫻木神社>訪問記/2018年04月28日櫻木神社]]~ ~ **その他 [#b57b0709] ・~ ~ **参考文献 [#l0626754] ~ ~