#author("2017-01-31T08:38:55+09:00","default:Admin","Admin")
#author("2017-02-04T22:43:26+09:00","default:Admin","Admin")
*玉崎神社 [#ib0ce960]
たまさき じんじゃ~
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玉崎神社は、千葉県旭市にある神社です。下総国(千葉県北部)の二ノ宮の論社の一つです。~
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''ポイント''~
・日本武尊の東征の際に創建されたとされる古社で、海の神であり、神武天皇の母である玉依姫を祀る~
・源頼朝や千葉常胤などの武将も参拝し、尊崇を受けた~
・同じ千葉県の上総一ノ宮に、少し字の違う玉前神社(たまさきじんじゃ)があり、ちょっとまぎらわしい~
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**データ [#p5d7cf66]
''神社''
|''祭神''|玉依姫尊 日本武尊|''創建''|弥生時代 西暦110年 景行天皇40年|
|''祭神''|玉依毘売命 日本武命|''創建''|弥生時代 西暦82年 景行天皇12年|
|''系統''|海神玉依姫系|''社格''|下総国二宮論社 郷社|
|''ご利益''|海上安全 大漁満足 安産 子授け 厄除 方位除 ろくさん除 交通安全 旅行安全 学業成就 必勝祈願|
|''ご利益''|海上安全 大漁満足 安産 子授け 厄除 方位除 ろくさん除 家内安全 交通安全 旅行安全 学業成就 必勝祈願|
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''鎮座''
|''エリア''|千葉県銚子・旭・八日市場エリア|''電話''|000-000-0000|
|''エリア''|千葉県銚子・旭・八日市場エリア|''電話''|0479-57-2278|
|''住所''|千葉県旭市飯岡2126-1|
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''交通手段''
|''電車''|総武本線 旭駅 飯岡駅|''バス''|旭駅から双葉町行きバスに乗車 「玉崎神社」下車 徒歩1分|
|''高速''|最寄りなし|''自転車''|未確認|
|''アクセス''|クルマのカーナビくんが、神社の裏口のほうに誘導しようとして、とても細い道を教えてくれたので、かなりあせりました。正面側は道も広く、駐車場もあります。クルマで行くときは、道に気をつけてください。JR線の駅からはかなり離れたところにあり、歩きでは行けません。バスは旭駅から出ていますが、タクシーで行く場合は飯岡駅のほうが近いです。|
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''現地''
|''施設''|社務所 駐車場 おみくじ ご祈祷|''必要時間''|本殿のみ5分 摂末社含む30分|
|''名物''|確認中|''見どころ''|石垣の跡|
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''関連サイト''~
・[[ウィキペディア 玉崎神社>WikiPedia.ja:玉崎神社]]~
・ああ http://www.geocities.jp/tamasakijinja/~
・いい http://~
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''訪問履歴''~
・2016年~
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//神道集に「玉崎大明神者、此国二宮」「同本地十一面観音」とあり下総国二宮とする説もあり、また永禄期には上総国一宮である玉前神社が戦火を避けて神体を移したとも伝えられている。
//中世には、三崎庄横根郷玉ヶ崎大明神、玉の浦総社玉ヶ崎大明神等と称せられ、武人の崇敬厚く、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤等が参拝し、それぞれ祈願や報賽のために報幣や社殿の造営にかかわったとされる。江戸時代に入ってからは、武人の崇敬はもとより、平田篤胤、平田鐵胤、斉藤彦麿、高田与清、大国隆正のような文人が参詣している。
//享保14年(1729年)には、地頭らが祈願したところ神験あらたかで浜は大漁にわいた。そこで、時の神祇官領従二位卜部朝臣兼雄に告げて宗源の宣旨を乞われ、神階正一位を賜った。拝殿内の扁額はその時のもので、将軍徳川吉宗の筆と伝えられている。
//明治になって、神社名を「玉崎神社」と改称し、明治19年(1886年)1月18日に「郷社」に列せられ、同39年(1906年)12月25日千葉県より幣帛供進神社に指定される。爾来、星霜を経、本殿は昭和48年(1973年)3月2日に、拝殿は平成17年(2005年)3月29日に県有形文化財に指定され、社宝の古瀬戸狛犬一対は、その形状面貌等特色ある品であることから平成3年(1991年)3月18日、同じく県有形文化財に指定された。
//玉崎神社本殿は、元禄年間(1688年~1704年)に建てられた一間社流造で見事な彫刻が施されており、また拝殿は天保年間(1830年~1844年)の造営と伝えられ、いずれも千葉県指定有形文化財(建造物)であり、古瀬戸狛犬も千葉県指定有形文化財(工芸品)である。
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**見どころ [#gaa1283d]
**神社・祭神について [#t767b3fa]
''祭神''~
主祭神は玉依姫尊で、配祀神として日本武尊が祀られています。~
主祭神は玉依毘売命で、配祀神として日本武尊が祀られています。~
玉依毘売命は、綿津見命の娘で、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズ)の妻であり、神武天皇の母です。古来から海上鎮護、漁業、厄除け、開運、縁結び、安産、育児の神として崇敬されています。~
日本武尊は、古来から武神として崇敬されています。~

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''神社''~
社伝によると、景行天皇40年の創建とされています。日本武尊(ヤマトタケル)が関東までやってきて、神奈川県から千葉県(相模から上総)へ、海で渡ろうとしました(昔は陸路より海路のほうが便利だった)。そこで急に嵐になり、海が荒れて大変なことになりました。そのとき日本武尊の奥さんの弟橘媛(おとたちばなひめ)が「これは海神の御心に違いない」と言って、海に身を投げてしまいました。 つづく
玉崎神社のご縁起によると、景行天皇12年の創建と伝えられている、とあります。日本武尊(ヤマトタケル)が関東までやってきて、神奈川県から千葉県(相模から上総)へ、海で渡ろうとしました(昔は陸路より海路のほうが便利だった)。そこで急に嵐になり、海が荒れて大変なことになりました。そのとき日本武尊の奥さんの弟橘媛(おとたちばなひめ)が「これは海神の御心に違いない」と言って、海に身を投げてしまいました。そうすると嵐は止み、無事上総の国に着くことができました。~
日本武尊は、その海神の霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉ヶ崎の地(玉の浦の東端)に海神である玉依姫尊の神霊を祀ったとのこと。~
下総国二ノ宮で玉ヶ崎大明神と呼ばれ、武将からの崇敬も厚かったとのこと。平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤等が参拝。


//無事上総国に着くことができ、葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉の浦(九十九里浜)に渡ることができた。そこで日本武尊は、その霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉の浦の東端「玉ヶ崎」に、海神の娘であり神武天皇の母である玉依姫尊を祀ったと伝えられている。後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して「竜王の鎮まり坐す崎」としたためという。


 
**摂社・末社・祭り・文化財 [#m9458dc1]
例祭~
旧暦の4月1日
旧暦の4月1日~
・1/1~1/3 正月祈祷~
・1/15 祈年祭~
・2/3 節分祭~
・5/5 例大祭~
・7/30 輪くぐり~
・10/15 神事祭~
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**歴史 [#pfe125b4]
**写真 [#o8abc348]
[[写真>./写真]]

**その他 [#tf00c5de]
・社殿は7:00から16:00まで開いていますが、それ以外の時間は閉まっています。~
・さまざまなご祈祷を受けています。~
神前結婚式 安産子授け祈祷(子宝石) 地鎮祭 上棟祭 家祓祭 井戸祓祭 厄年厄祓 ろくさん除祓 方位除 海上安全 自動車祓 学業成就 家内安全 商売繁盛 旅行安全 交通安全 大漁満足 命名 改名 祖霊祭 鎮祭
**参考文献 [#pef4595e]
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