#author("2016-11-25T12:46:19+09:00","default:Admin","Admin")
*河口浅間神社 [#a10ffed0]
かわぐち あさま じんじゃ~
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河口浅間神社は、山梨県富士河口湖町にある神社です。富士五湖のひとつ、河口湖の近くにある浅間神社です。~
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''ポイント''~
・864年(貞観6年)に富士山の大噴火があり、それを鎮めるために浅間大神を祀ったのがはじまり~
・世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部になっている~
・樹齢1000年を超える巨大な杉が何本も立ち、それに負けないほどの大きくて立派な社殿、厳かでありながら、その迫力に圧倒されます~
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**データ [#jdac96de]
''神社''
|''祭神''|浅間大神(木花咲耶姫命)|''創建''|平安時代 865年(貞観7年)|
|''系統''|浅間系|''社格''|式内社 名神大社論社 旧県社|
|''ご利益''|●●|
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''鎮座''
|''エリア''|[[富士山・富士五湖エリア>神社/エリア/中部/富士山・富士五湖]]|''電話''|0555-76-7186|
|''住所''|山梨県南都留郡富士河口湖町河口1|
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''交通手段''
|''電車''|富士急行線 河口湖駅|''バス''|河口湖駅から富士急行バス甲府駅行き、または甲府駅北口行き「富士健康センター前」または「河口局前」下車|
|''高速''|中央自動車道 河口湖ICから車で10分|''自転車''|レンタサイクルあり|
|''アクセス''|河口湖観光とともに。電車や高速バスで、河口湖駅まで向かい、そこから路線バスで行けます。|
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''現地''
|''施設''|駐車場30台(無料) トイレ|''必要時間''|確認中|
|''名物''|河口湖みやげ|''見どころ''|境内のたくさんの巨木|
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''関連サイト''~
・[[ウィキペディア 河口浅間神社>WikiPedia.ja:河口浅間神社]]~
・山梨県神社庁 http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/7137~
・富士の国やまなし観光ネット http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4445.html~
・河口浅間神社駐車場の使用禁止について(2016.11.17) http://www.fujisan.ne.jp/news/info.php?new_id=495&nca_id=1~
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''訪問履歴''~
・2016年~
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**見どころ [#cd849675]
''本殿・拝殿''~
現存する本殿は、1606年(慶長11年)に焼失して、翌年1607年(慶長12年)に再建されたものとのこと。富士河口湖町の指定有形文化財。~
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''美麗石''(ヒイラ石)~
拝殿の前に、美麗石と呼ばれる石の祠が立っています。これは、浅間明神をこの地に初めて祀ったときの、古代祭祀の石閣と伝えられています。~
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''天然記念物・自然''~
社殿周辺に、「七本杉」と呼ばれる7本のスギの神木がそびえ立っています。これらはいずれも樹齢千二百年を超えており、山梨県指定天然記念物に指定されています。~
参道の杉並木、栃の木、樅の木は、富士河口湖町の指定天然記念物に指定されています。~
世界文化遺産に富士山が登録されましたが、「信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として、河口浅間神社の信仰、自然も含めての登録となっています。~

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七本杉には、それぞれ名前がつけられています。~
「御爾(みしるし)」「産射(うぶや)」「齢鶴(れいかく)」「神綿(しんめん)」「父母(かづいろ)」「天壌(てんじょう)」~
※「父母」は、2本で1セット~
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**神社・祭神について [#e1450158]
「河口浅間神社」という社名は、他の浅間神社と区別するための通称で、正式名は「浅間神社」といいます。富士山の北側の麓に位置し、祭神様は河口湖越しに富士山を見つめています。~
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祭神である浅間大神 (あさま おおかみ)は、他の浅間神社と同じく、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を指しているとのこと。~
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社記によると、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)、大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀っていると伝えています。~
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**摂社・末社・祭り・文化財 [#n175202c]
''例祭''~
4月25日(孫見祭)~
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''神事''~
筒粥祭 (1月14日)~
身曽岐流し(7月31日)~
献穀祭 (11月23日)~
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**歴史 [#heb1f655]
河口浅間神社の創建は、貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火を鎮めるために、貞観7年(865年)に浅間大神を奉斎したのが始まりといわれています。~
経緯については、「日本三代実録」に記載が見られます。かつては富士山の麓に、せの海(剗の海)という、大きな湖がありました。それが、貞観6年(864年)に富士山が大噴火を起こし、その溶岩で埋まってしまいました。かろうじて残った部分が、今の本栖湖、精進湖、西湖です。~
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当時は富士山に関する祭祀は、駿河国(静岡県)側のほうが権力があり、駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)が中心となって祭祀を行なっていたため、甲斐国(山梨県)側には、浅間神社はありませんでした。
この噴火をきっかけに、「富士山が怒っているぞ。祭祀怠慢だ」という意見が出て、甲斐国でも浅間神を祭祀するべきという話になり、翌年の貞観7年(865年)、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られました。
延喜式神名帳には名神大社として、「甲斐国八代郡 浅間神社」の記載が見られます。~
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甲斐国八代郡浅間神社の論社としては、ここ河口浅間神社と、笛吹市の浅間神社が有力な候補として考えられています。
大日本史や甲斐国志などの書物では、古くから河口浅間神社がその論社として論じられています。
その中で「当地は現在都留郡であるが、当時は八代郡に属した」といったことが書かれており、浅間神社の由緒書きにもそのような記述がありますが、後から付け足された可能性もあり、議論は絶えません。
浅間神社#甲斐国

**写真 [#z0cd5373]
**その他 [#a5e2f2fc]
**参考サイト/文献 [#h4a47dc6]
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