#author("2018-05-03T16:10:30+09:00","default:Admin","Admin")
#author("2018-05-03T16:14:12+09:00","default:Admin","Admin")
*玉崎神社 [#ib0ce960]
たまさき じんじゃ~
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玉崎神社は、千葉県旭市にある神社です。~
下総国(千葉県北部)の二ノ宮の論社の一つです。~
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>''ポイント''~
・古代、日本武尊の東征の際に創建されたとされる古社で、海の神で神武天皇の母である玉依毘売(たまよりびめ)を祀る~
・戦国時代には、源頼朝や千葉常胤などの武将も参拝し、尊崇を受けた~
・同じ千葉県の上総一ノ宮に、読み方が同じ「玉前神社」(たまさきじんじゃ)があり、少しまぎらわしい

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#contents
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**データ [#p5d7cf66]
''神社''
|''祭神''|玉依毘売命 日本武命|''創建''|弥生時代 西暦82年 景行天皇12年|
|''祭神''|玉依毘売命 日本武命|''創建''|弥生時代 西暦82年(景行天皇12年) 西暦110年(景行天皇40年) |
|''系統''|海神玉依姫系|''社格''|下総国二宮論社 郷社 千葉県幣帛供進神社|
|''ご利益''|海上安全 大漁満足 安産 子授け 厄除 方位除 ろくさん除 家内安全 交通安全 旅行安全 学業成就 必勝祈願|
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''鎮座''
|''エリア''|千葉県銚子・旭・八日市場エリア|''電話''|0479-57-2278|
|''住所''|千葉県旭市飯岡2126-1|
|''立地''|平地|''敷地''|小~中規模|
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''交通手段''
|''電車''|総武本線 旭駅 または 飯岡駅|''バス''|旭駅から双葉町行きバスに乗車 「玉崎神社」下車 徒歩1分|
|''高速''|最寄りICなし、しいて言えば横芝光IC または 大栄IC|''自転車''|不明|
|''アクセス''|鉄道の駅からはかなり離れたところにあり、歩きではとても行けません。&br;バスは旭駅から出ていますが、タクシーで行く場合は飯岡駅のほうが近いです。|
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''現地''
|''施設''|社務所 駐車場 おみくじ ご祈祷|''必要時間''|本殿のみ5分 摂末社含む30分|
|''名物''|確認中|''見どころ''|石垣の跡|
|注意点|社殿は7:00から16:00まで開いていますが、それ以外の時間は閉まっています。|
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''関連サイト''~
・ウィキペディア [[玉崎神社>Wiki:玉崎神社]]~
・外部サイト:公式サイト [[玉﨑神社>http://www.geocities.jp/tamasakijinja/]]~
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**ご利益・見どころ [#gaa1283d]
玉崎神社のある周辺は、静かな住宅地で、地元の神社という感じです。~
しかし、大変歴史がある神社で、

玉崎神社本殿は、元禄年間(1688年~1704年)に建てられた一間社流造で見事な彫刻が施されており、また拝殿は天保年間(1830年~1844年)の造営と伝えられ、


海上鎮護、漁業、厄除け、開運、縁結び、安産、育児
神前結婚式 安産子授け祈祷(子宝石) 地鎮祭 上棟祭 家祓祭 井戸祓祭~
厄年厄祓 ろくさん除祓 方位除 海上安全 自動車祓 学業成就 家内安全~
商売繁盛 旅行安全 交通安全 大漁満足 命名 改名 祖霊祭 鎮祭~

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**神社・祭神について [#t767b3fa]
''神社''~
玉崎神社のご縁起によると、景行天皇12年の創建と伝わる、とあります。~
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>ヤマトタケルは、はるばる関東までやってきて、神奈川県の相模から、千葉県の上総へ、海を渡ろうとしました(昔は陸路より海路のほうが便利でした)。~
そのとき、走水の海(横須賀市)を守る神さまが波を起こして、海が荒れて大変なことになりました。~
その様子を見たヤマトタケルの奥さんの弟橘媛(おとたちばなひめ)は、「これは海神の御心に違いない」と言って、海に身を投げてしまいました。~
そうすると波はピタッと収まり、無事上総の国に着くことができました。~
ヤマトタケルは、その海神の霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉ヶ崎の地(玉の浦の東端)に海神である玉依姫尊の神霊を祀りました。~

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''祭神''~
主祭神は玉依毘売命(たまよりびめのみこと)で、配祀神として日本武命(やまとたける)が祀られています。~
玉依毘売命は、海の神さまである綿津見命の娘で、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズ)の妻であり、神武天皇の母です。~

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ヤマトタケルは、関東地方を治めるために東征して来た皇族で、古来から武神として崇敬されています。~
千葉県内には、ヤマトタケルに関わるエピソードが数多く残っています。~
また、ヤマトタケルを助けるために海に身を投げた、奥さんの弟橘媛を祀る神社もあります。~
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**摂社末社・祭り・文化財 [#m9458dc1]
''例祭''~
旧暦の4月1日~
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''祭り''~
・1/1~1/3 正月祈祷~
・1/15 祈年祭~
・2/3 節分祭~
・5/5 例大祭~
・7/30 輪くぐり~
・10/15 神事祭~
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**歴史 [#pfe125b4]
玉崎神社は、下総国二ノ宮で「玉ヶ崎大明神」と呼ばれ、武将からの崇敬も厚く、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤らが参拝しました。~
江戸時代に入ってからは、平田篤胤、平田鐵胤、斉藤彦麿、高田与清、大国隆正といった文人も参詣しました。~
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享保14年(1729年)には、地頭らが大漁祈願したところ、たくさん魚が獲れて、みんな大喜びに。~
その神験から、神階正一位を賜りました。~
拝殿内にある扁額(神社名の書かれた額)は、その頃の徳川吉宗の筆と伝えられています。~
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明治に入り、「玉崎神社」と改称されました。~
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**写真・訪問履歴 [#o8abc348]
''写真''~
[[写真>写真/千葉県/玉崎神社]]~
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''訪問履歴''~
・[[2017年まとめ>訪問記/2017年まとめ]]~
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**その他 [#tf00c5de]
・下総の国の二ノ宮としては、ここ玉崎神社のほかに、千葉県船橋市にある二宮神社も候補となっています。~
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**参考文献 [#pef4595e]
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//神道集に「玉崎大明神者、此国二宮」「同本地十一面観音」とあり下総国二宮とする説もあり、また永禄期には上総国一宮である玉前神社が戦火を避けて神体を移したとも伝えられている。中世には、三崎庄横根郷玉ヶ崎大明神、玉の浦総社玉ヶ崎大明神等と称せられ、武人の崇敬厚く、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤等が参拝し、それぞれ祈願や報賽のために報幣や社殿の造営にかかわったとされる。明治になって、神社名を「玉崎神社」と改称し、明治19年(1886年)1月18日に「郷社」に列せられ、同39年(1906年)12月25日千葉県より幣帛供進神社に指定される。爾来、星霜を経、本殿は昭和48年(1973年)3月2日に、拝殿は平成17年(2005年)3月29日に県有形文化財に指定され、社宝の古瀬戸狛犬一対は、その形状面貌等特色ある品であることから平成3年(1991年)3月18日、同じく県有形文化財に指定された。玉崎神社本殿は、元禄年間(1688年~1704年)に建てられた一間社流造で見事な彫刻が施されており、また拝殿は天保年間(1830年~1844年)の造営と伝えられ、いずれも千葉県指定有形文化財(建造物)であり、古瀬戸狛犬も千葉県指定有形文化財(工芸品)である。
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