後世に伝えていくことの限界

私見
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終戦記念日では、戦争の悲惨さや、二度と繰り返すまいと、訴える人たちの映像が流されます。今生きる人たちの間だけではなく、今の若い人や、これから生まれる子どもたちにも伝えようとしています。

今はギリギリ、戦争を経験した人たちがいらっしゃいますが、近いうちに戦争経験者がいなくなるでしょう。彼らにとって、ここからが正念場と言えるかと思います。

しかし、それには限界があると感じます。

先日の東日本大震災のとき、多くの人が津波から逃げ遅れてしまいました。その同じ場所で、過去に何度か津波の被害があり、昔の人は教訓を残していました。地震が起きたら、とにかく逃げろと。

その教訓は、子孫に伝えられ、自分たちが生きている間に地震や津波がなくても、後世のために伝えられつづけてきました。実際に、その古くからの教えを守って避難し、助かった人たちもいます。

しかし、それを知らなかった人たちのほうが多かったのです。真面目な人が後世の人のために伝え続けても、どうしても途切れたり、風化したりするものです。それはしかたがないことだと思うのです。

他人の生命を救うために、他人から話を聞かされることも必要かもしれません。ただ、自分の身を守るのであれば、聞かされるのではなく、自分から率先して知る必要があると思います。受け身ではなく、自分から情報を収集していく。一人ひとりの意識こそ重要だと思うわけです。

そして、自分の身を守るためには、過去の経験を記した文書が、失われずに残りさえすればいいわけです。今は昔と違い、情報というものを残しやすい時代になりました。書籍はもちろん、個人の意見をWebでも発信できるようになり、記録として残せるようになりました。いずれ、すべてのデータはどこかに永久保存され、あらゆるデータを共有できるようになるでしょう。

我々が死んだあとの世代に、何かを伝えたいなら、とにかく文字に残すことが大事だと思います。大それたことを言うつもりはありませんが、自分は死んでも、文字は生き続ける。文章を書くことは有意義なことだと思うわけです。

そう思いながら、今後も一生の趣味として、駄文を連ねることを考えています。

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